「プロパガンダ」
このブログでは、大きなテーマとしてこれまで記事にしてまいりました。
プロパガンダとは”政治的宣伝”というものですが、民主主義、権威というものと密接な関係があります。
また、「考え方」を「一定の”枠”に閉じ込める」といった目的もあるのです。
以前に書いた記事を参考にしてみてください。
今回の記事では、これまで書いたことを踏まえて、「プロパガンダに個人の道徳が敗ける理由」を考えてみたいと思います。
プロパガンダという言葉の意味
現在ではこのプロパガンダという言葉は、非常に悪いイメージを持っている方々が多いと思われます。
それは、先の戦争での使われ方や、大衆を騙す為の手段だったということがあとから見るとわかってしまったということがあります。
しかし、元々プロパガンダという言葉には善悪はなく、ランダムハウス英和大辞典によると以下の定義です。
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1
(個人・団体・運動・制度・国民などの弁護または誹謗ひぼうの目的で)流布された情報;((話)) デマ,うわさ,偽りのニュース
2
(1のような情報・うわさを)故意に流すこと,(組織的な)宣伝(活動),プロパガンダ
3
((しばしば軽蔑的)) 宣伝された主義[主張・思想・事実].
4
((the P-)) 〔ローマカトリック〕
.(1)布教聖省:1622年教皇 Gregory XV により創設された枢機卿すうきけいの委員会;外国伝道やそのための司祭養成を監督する.
.(2)プロパガンダ大学(College of Propaganda):教皇 Urban VIII により外国伝道のための司祭の教育を目的として創設された学校.
5
((古)) 宣伝機関[団体].
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引用:スタンダード英和辞典
意外と由緒正しき、歴史を持つ言葉であるということがわかります。
正しい知識、有益な情報、正確な事実などを大衆に拡める為の技術だということでしょう。
しかし、そこに意図的に嘘や誤情報を流して普及させる人間がいることで、大衆はその嘘を”暴く”必要性が出てきてしまいます。
結局は使い手の問題で、この言葉の意味すら歪められてしまったのです。
真実、事実、正しい情報は拡められるべきですが、既存の主要メディアは全くと言って良いほど、これらの情報だけは隠してきました。
何故隠すのか?
一番大きな理由はメディアにとって、またメディアに対して影響力のある者にとってのプロパガンダの目的が、「利益」でしかないからです。
そこにはお金が介在しますし、大衆を「一定の思考の枠」にはめ込むことができれば、そこには「利益」が生じてしまうのです。
その利益は広範に及びます。
例えば、ある情報を出さないことによる利益(企業の不祥事や政府の不祥事)や納豆ダイエットに見られたような情報を造ることでの利益、ある情報を隠すために別のまたある情報を出すことで核心に触れさせない利益など、一言で言えば「大衆を如何にコントロールして目的の利益を創出するか」という論理のみで繰り広げられている活動が、今日のメディアのプロパガンダ、情報操作なのです。
権威が与える情報と大衆の服従
以前に以下の記事で「権威の活用」という手法を書きました。
この記事でも書いたように、メディアは「権威」のある肩書の人間を使うことで、情報に説得力をもたせます。
大学教授などの権威が、「嘘をつかない」という前提でプロパガンダは行われます。
大学教授も人間ですから嘘をつくことくらいあるでしょう。
更に、御用学者という言葉があるくらいなので、自己の利益の為なら(この場合は出世や有識者会議への推薦等)平気で嘘をついて日本国民を貶めることは厭わないのです。
誰が作ったのかわかりませんが、ここに記載されている人達は概ね正しいと言えます。
特に経済学者で国の借金キャンペーンでお馴染みの伊藤元重、土居丈朗などは一般人から御用学者と認識されていることにどのような感情を抱くのでしょうか。
メディアの立場から言えば、大衆は「権威に弱い」ということを知っているのです。
なぜ大衆は権威に弱いのかということになりますが、そもそも人間社会、特に近代国家というのは、人が生まれてからの最低15年間「権威に対する反応」を叩き込みます。
親、兄弟、大人、教師、メディア、学校などです。
教科書にデタラメが書いてあることは後々わかることですが、幼少期における権威に対する洗脳、あるいは社会的条件付けには、情報の中身が正しいか誤っているかは問題ではなく、
「権威が黒と言えば白いものでも黒になる」という潜在意識を植え込む目的が重要なのです。
そのように仕込まれた人間は、権威主義的な人間になっていきます。
「テレビで言ってた」、「どこどこの大学教授が言ってた」、「国連事務総長が言ってた」「有名な人が言ってた」と一度は聞いたことがあると思いますが、これは全て幼少期における権威から施される社会的条件付けの結果です。
権威主義的な人間には特徴があります。
「自分の頭で考えることを放棄する」
まずこれがあります。
自分の頭で考えることを放棄することによって生まれるのは、「責任回避」の論理で行動しがちになります。
考えてみれば当たり前ですが、権威主義的になるということは自分の言葉に責任を持たないということの裏返しということに繋がります。
自分の言葉よりも権威が言うことに重きを置いているわけですから、仮に後から間違っているとわかったとしても「その大学教授が間違っていたんだ」とか「でも、その大学教授はこうこうこういう実績があって…」などと認知的不協和に陥った言動をしがちになります。
これは正に「自己の選択に対する責任回避」の活動と言えます。
責任回避の活動には権威に対する服従と密接な関係があります。
そんなデータがあるのかといった反論もあるかと思いますが、かの有名なミルグラム実験、通称「アイヒマン実験」と呼ばれる実験で証明されているのです。
是非、「服従の心理」を読んで頂きたいのですが、この本には詳細に、権威と服従の関係性や個人の道徳や倫理に権威がどのように影響するのかの詳細を実験結果とともに記録されています。
どこの図書館にもあると思うのでぜひご一読ください。
https://sirabee.com/2016/02/27/87687/
プロパガンダに個人の道徳や常識が敗ける理由
これまで書いてきたように、プロパガンダには様々な手法が使われています。
権威の活用やレッテル貼り、繰り返し伝えるなどのテクニックは言わば各論的なもので、大元を辿れば、このようなプロパガンダに大衆がコントロールされる下地が出来上がっており、それが幼少期の権威に対する反応を仕込む「義務教育」だと言えてしまうということです。
こういった「思考の枠」を権威が大衆に提供し、大衆がその思考の枠から出ないようにプロパガンダ、情報操作を行ってきたのです。
権威が提供した思考の枠という型にはまった大衆は、その思考の枠の外で思考している人間を”正気”だとは思えなくなります。
要は権威が提供した思考の枠外で思考している者はキチガイ扱いされてしまうということです。
それは、イラク戦争時に垣間見えました。
米国はイラク戦争で国連の決議を経ず、中東を民主化するという野望を達成するために国際法違反をしてまで侵攻しましたが、その米国の行動に日本国民は概ね賛同したのです。
その当時に、イラク戦争に反対する日本人はことごとく無視されていましたし、メディアもそういう人達の意見を報道することはほとんどありませんでした。
ここからわかることは、「権威が提供する思考の枠」内での対立構造は権威からしてみれば予め想定されたことであること、また、民主主義は権威からしてみれば情報操作ひとつで、「全体主義」に移行させることも可能だということです。
つまり民主主義とは、大衆が選択する事柄を権威が操作できるという政治体制だと言うことも出来るのです。
少なくとも、インターネットが登場するまでは民主主義の名の下に、大衆をコントロールすることは容易であったはずです。
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌といった媒体が主流であれば、大衆の思考や意識を操作することなど、言論の自由と表現の自由を標榜した上で思考の枠を提供しておけば、そんなに難しいことではありません。
先日、天寿をまっとうされたブレジンスキーの発言ですが、非常に興味深いことを言っています。
プロパガンダに個人の道徳や常識が敗ける理由とは結局のところ、
「権威が作り出す”空気”に、個人が逆らえないような環境を権威によって作り出されている」
ということです。
まとめ
別に、権威を批判したいからこのような記事を書くのではありません。
権威がなければ国家は成り立ちえませんし、権威の信用が失われてしまえば社会に混乱が訪れることは想像に難しくありません。
私は、権威が襟を正し、また大衆もしっかり自分の頭で考えるようになることを願っているだけです。
何しろ愚民化政策目白押しの我が国ですから、このままいけば米中両国の属国になりかねませんし、これでは我が国を守るために戦った先人達に顔向けができません。
プロパガンダは元々、正しいことを拡める為の技術だったのにいつからか、嘘を拡め利益を大衆から奪い取る為の技術に変貌してしまいました。
ゲッベルスも以下の記事で書いたように以下のように言っています。
「優れたプロパガンダは嘘をつく必要がない。むしろ嘘をついてはいけない。真実を恐れる必要はないのだ。大衆は真実を受け入れることが出来ないというのは誤りだ。彼らにはできる。大事なことは大衆が理解しやすいようにプレゼンテーションしてやることだ」
ヨーゼフ・ゲッベルスが警告したこと〜プロパガンダの天才が危惧した未来〜
大衆が権威の嘘に騙され続ければ、権威も調子に乗りますから、大衆と権威のパワーバランスが
”ちょうどよく”なることを願っています。