最近、”冷戦”というキーワードで当ブログにアクセスが集中していたのですが、何故、冷戦が終わって20年以上が経過しているのにも関わらず、検索されているのか不思議だったので、以前に以下の記事で紹介したGoogle Trendsで”cold war”と入力してみたら意外なことがわかりました。
これは五年間の推移なんですが、毎年5月くらいに、”cold war”というキーワードで検索が集中しているということがわかったのです。
これは一体何を意味しているのしょうか?
何か違和感を感じるのは私だけでしょうか?
この記事では、その辺りを考えてみたいと思います。
情報操作の可能性
目次
毎年5月辺りにアクセス数が頂点に達します。
逆に一番低いアクセス数の時期は毎年12月辺りのようです。
毎年12月から徐々にアクセスが増え始め、5月あたりで頂点に達します。
それも非常に規則正しく。
ではこの毎年12月から5月までの間に何があったのでしょうか?
と言うよりも、どのような情報が社会に広がっていたのでしょうか。
ここまで規則的になっているのであれば情報操作を疑う理由としては十分です。
以下は過去に書いた記事ですが、これら分析するためには役に立つツールになるかもしれません。
情報操作を仕掛ける者が困る5つのこと〜メディアの嘘に騙されない〜
ユーザーがテレビや新聞などの主要メディアで放送された内容をインターネットで検索して調べている可能性もありますし、もしそうであれば主要メディアがインターネット検索を見越して情報操作をしていると言えます。
以前私が、歴代日本人スパイが大物ばかり〜アメリカに媚びた日本人〜の記事を書いたとき、しばらくアクセスはされなかったのですが、テレビでCIAや世界のスパイ特集的な企画のプログラムが放送された時、急激にこの記事のアクセスも増えたことがありました。
情報操作を仕掛ける側が大衆の行動パターンを知らないはずがありません。
そもそもその為の機関ですから、その行動パターンを利用してスパイ関連の放送をしたと考えるべきです。
これを踏まえて今回の「冷戦」のキーワード検索結果を考えると、毎年12月から5月の間に
「戦争に対する恐怖を植え付ける」活動がメディアで行われている可能性があるのです。
もちろん、主要メディアだけではなくネットの世界も含みます。
確実に人類は情報に操られている
これらのグラフを観ても分かるように、情報操作は確実にそれも堂々と行われているのです。
先日、陰謀論に関する記事を書きましたが、陰謀論を拡げる者も、陰謀論を否定する者も、どちらの情報も観て、他の情報も観て、自分の頭で考え結局どちらを”信じるか”ということに繋がります。
私は陰謀論の全てを信じるわけではありませんし、可能性として高い方、状況から見て素直に観るように努めて自分で判断を下します。
因みにここでその判断を狂わすのが”権威”です。
陰謀論否定派の人達は、肯定派を必ず、誹謗中傷でなじるのです。
毎回そうだから不思議でなりません。ということは意図があると判断するのが自然です。
例えば911事件の自作自演疑惑について否定派と肯定派が存在しますが、どちらの意見を聴いたり読んだりすると、肯定派はひとつひとつ事実を積み上げて、冷静に説明しようと試みているのですが、否定派はデーブ・スペクターよろしくとにかくバカだアホだと誹謗中傷しながら、反論材料を用意します。
それはそれで、詳しく調べてみないとわからないこともありますし、一定レベルの知見も必要になってくる場合もあります。
だから、少なくともどっちの意見も信用できないことはないとなるんだろうと思います。
ただ、私が非常に気になるのは、否定派は必ず、「権威」を利用して反論をします。
しかし今時、”権威”だのなんだの言われても、魂を売った権威ある人間などゴマンといますから、正直、東大教授とか京大教授とか言われても、すごい肩書だなーぐらいしか感じません。
その権威が間違っているという可能性は否定派には排除されています。
そもそも、義務教育というのは権威に対する反応を仕込むための機関という側面があるのです。
子どものような「素直な心」で情報を観ることが非常に大事なんだと私は非常に強く思っています。
「なんで?」を解決して、そこから生まれる「なんで?」を解決するを繰り返すことで真に正しいことが見えてくると言えばわかりやすいでしょうか。
しかし、大人になるということは「なんで?」に対して「そういうものだから」と思考停止になることが「大人」だと社会では言われます。
私は、これを「奴隷」と表現する以外に適切な表現が見つかりません。
大人になるということが、逃げること、戦うことを拒否すること、奴隷になることなのであれば、別に私は子どもでいいです。
情報操作によって、奴隷を大人と表現する社会になっていると言えなくもないと私は感じます。
情報操作の核になる部分は「恐怖」に訴えることです。
情報操作の目的は、「大衆の思考を操作する」ことです。
情報操作によって、大衆の恐怖を煽り、「思考」をコントロールします。
そして、その大衆の思考が「現実化」していきます。
現実の作られ方
ナポレオン・ヒルの思考が現実化するというのは有名ですし、私も経験があります。
現実がどのように作られているのかということを簡単にまとめてみました。
①手に入れられるな情報「情報や知識、あるいはそれらが欠如した状態を含む」
個人が手に入れられる情報や知識、その過程とその情報を理解する活動、行動できる可能性のある情報や知識から構成されます。
例:テレビ、ラジオ、新聞、インターネット、書籍等
②判断の流れ
判断、決断までの過程は、人の意識の中で行われます。
入手可能な情報を基に、過去の経験や思考パターンなどで各個人が、手にしている情報の中から判断します。
この中には、情報の欠如が大きく含まれます。つまり、プロパガンダは情報の欠如に気付かせないための活動とも言えます。
だからこそ、マスコミなどはどこの局も同じ報道を繰り返し行うのです。
また、人間はどうしても自分の知りたい情報よりも、自分の”好きな”情報を取りに行きがちになります。
自分の主張と全く違う主張を受け入れ、それを吟味し思考するということが面倒になることがあるということです。
③行動
各個人の行動は、各個人の知識を基に、判断、決断されます。
その行動の内容は、各個人の環境に大きく左右されます。
選挙だったり情報発信したり、デモをやってみたり、思想が一致する組織に属してみたりと様々ですが、根本が同じとなります。
④発生した現実:(生まれた結果)
実現した結果や現実は、その社会を構成する各個人の持つ知識や情報、それに基づく行動の結果、各個人の質を統合した現実となります。
現在は幅広く情報が大衆の手に渡っている社会になっていますので、マスメディアとしては大衆コントロールはしづらい状況になっているとは言えますが、それでもまだ効果は絶大です。
根本的に、操作された情報の枠の中で知識を得て判断、行動までを行えば、どのような結果になろうとも、その「情報の枠内」での結果、つまり現実が実現するのです。
となれば、情報操作を仕掛ける者としては、その枠内で想定される結果を考えておけば良いわけで非常に楽で簡単ということになるでしょう。
この議論を延長すれば、現実は「情報操作に踊らされる者」が作っているということになります。
まとめ
久しぶりに情報操作に関する記事になりましたが、我が国は言論の自由、報道の自由があると言いながら、実態は、国民の思考が不自由に設定されている上に、情報操作が行われているといった極めて深刻な状態です。
ほんの少しでも、良い方向に向かってくれれば嬉しいと思います。