”個人主義”は強者主義であり、勝ち組主義となる


戦後アメリカから輸入された”個人主義”という思想。

この個人主義が我が日本民族にどれほどの悪影響を与えたのでしょうか。

地震、水害などの自然災害が多く「助け合わなければ互いが生きていけない」という土地条件にもかかわらず、「個人」を最重要として考えることの弊害とはどういったものでしょうか。


家族、法律、経済学、安全保障など様々な分野にこの個人主義の弊害が垣間見えます。

この記事ではその辺りを考えてみたい思います。


家族のあり方が国家のあり方となる



 

この動画の序盤にエマニュエル・トッドが家族と国家のあり方の関係性に言及しています。

我が国も戦前までは、大家族が一般的だったように思えますが、戦後、核家族が増えたようです。

厚生労働白書



この状況をあえてアメリカが行った占領政策の一端と決めつけて考えると、「世代をバラバラにする」という効果があります。




エマニュエル・トッドの説明する通り、個人主義においては世代が下れば各人が独立して、上の世代と切り離されます。

そうなることで、「私達」を考える範囲は極めて限定的なものにならざるを得ません。





つまり「私達」と個人主義者が言った時、それが意味する範囲は、「自分、子ども、配偶者」が一番近く、「自分の周りの他人」は次点となり、地域共同体や国家共同体といった存在は意識されないということになっていきます。



家族の範囲が大家族から核家族に縮小すること、更に共働きの世帯を増やすことで、子どもと親を引き離すことで学校が子どもの親となり、その上両親が共働きになれば税金も取れるといった効果が見込めます。

これは陰謀論だという人もいるかもしれませんが、結果はこうなっていますので、陰謀だとか陰謀じゃないとかそのレベルの段階では既にないのです。

我が国は戦前、国家を一つの家として考え天皇を親、国民を子どもとして考える「八紘一宇」という考え方のもとで国家を運営していました。




GHQがこの八紘一宇という言葉を使用禁止にしたことそれ自体が、この八紘一宇の価値観がアメリカの国益にとって不利益であったことは間違いありません。

そうでなければ禁止する意味が無いのです。


日本国憲法は「個人の尊重」

我が国の日本国憲法を一言で表すとしたら「個人の尊重」です。

日本国憲法



こうして通してみると随分と憲法違反と言えるようなことは発生しているような気がします。

それは置いておくとしても、個人主義を担保しているものがこの日本国憲法です。



よく保守と呼ばれる人達がGHQに押し付けられた憲法だと言い、それに左翼が憲法草案を日本人も一緒になって作ったと反論し戦後70年ウヤムヤになりながら、一言一句変えられることのなかった日本国憲法です。

 

占領下で作られた、つまり日本国に主権が無い状態で作られたことは紛れもない事実であります

日本国憲法は「憲法界の吉永小百合」と言われています。

吉永小百合はいつまでも綺麗で変わらないからということらしいですが、誰が言ったんだろうと首をかしげるばかりです。



個人主義を担保している条文は3章10条以下です。

個別に条文を読み、更に憲法前文を読み、それから憲法全体を読むとあることに気付きます。

それは、


「国民は国家に苦しめられている前提で書かれていること」



「国民は国家に自由を奪われる前提で書かれていること」

もっと単純な構図で言えば

「国民VS国家」

という前提なのです。

この構図における国家観というのは非常に社会契約論ぽいですね。

日本国民は天皇陛下と契約をして国家というものを運営していると考えている日本人は非常に少ないと思いますが…

社会契約論




日本国憲法の中で個人の尊重が最重要視されているということであれば「個人の利益」を守ることが日本国憲法の最大の目的ということになります。

個人の利益を守るということは、裏を返せば個人の利益を守るために他の何かの利益を犠牲にするということです。


その犠牲になる利益が例えば公共の利益だったらどうなるのか?

公共のための支出を削減して、個人の負担を減らす、あるいは個人に利益を分配するということが、公共の利益に資するという結果になれば良いのですが果たしてそうなっているのか。


憲法が「個人の尊重」を最重要視している限り、我が国の安全保障とは両立しえません。

何故なら、安全保障というパブリックな利益は、個人の尊重とは相反するものであるからです。


例えば、堤防の建設などはわかり易いと思います。


何故、堤防を作ろうという話になったのか。

それは、雨が降ることで水位が上がり、街が水浸しになってしまうことで、そこで暮らす人々の生活が脅かされてしまうからだということになります。



では、そうならないようにしようということで、そこに住む人々がお金を出し合って堤防を建設しようということで堤防建設の計画を話し合ったところ、こういう人が出てくる可能性があります。



「”私の”家は水害や洪水に対応しているから堤防建設には反対だ」


少し極端な例ですが現実的に言えば、「10年に1回の水害でこんなに大きな支出をする必要があるのか?それをするなら今生きている人達にお金を配ろう」といったいわゆるコンクリートから人へ思想です。


理由は様々ですが、公共の利益を達成しようとしても個人の利益を尊重することで、これから起こり得るであろう危険に対応できなくなるという可能性があるということです。

仮に水害があっても”俺は”引っ越すから大丈夫。

仮に洪水になっても”俺は”高台に住んでいるから大丈夫。

といったようなことになってしまうことが「個人の尊重」を最重要視している国家ではあり得ることなのです。


安全保障は助け合い

先程の堤防建設の例で説明したように、堤防建設という安全保障(公共の利益に資する投資)と、日本国憲法の根幹である個人の尊重は相容れない価値観となります。

日本国憲法に照らせば、”俺は俺は”の論理のほうが正しい、と言うか「強い」ということになります。

「自分、自分、自分」という価値観が許され、それを保障する日本国憲法はグローバリズムと滅法相性が良いということになります。




日本国憲法とは、その国の国家観、国体を明文化し現すものですが、日本国憲法には、「個人を尊重すること」を最重要視します。

となると、新古典派経済学において「個人」を前提とするグローバリズムと日本国憲法はある意味では非常に相性が良いと考えられます。



国家観を持たず、個人のみを考えれば、弱肉強食の世界とならざるを得ません。

弱肉強食の世界と言えば、新自由主義です。

新自由主義というイデオロギーはグローバリゼーションを推進し”小さな政府”を実現しようとします。

また小さな政府ということは、所得再分配や公共投資はできるだけしない方向になるのは当然ということになります。




正に、個人主義のトリニティ、「日本国憲法」「新自由主義」「グローバリズム」ということで、国民が持つべき我が国の「国家観」を喪失させられれば、「安全保障」という公共の利益を達成させる政策は不要とは言わないまでも、最低限のみ行なわれるということになることでしょう。

現在のプライマリーバランス黒字化目標や憲法9条問題などは、結局はこの「個人の尊重」が行き過ぎてしまった結果です。



実際にその国の国体を現す憲法に「個人の尊重」を最重要視すると書かれ、70年以上変わらずに現在のグローバリゼーション的な「個人主義」が社会に蔓延しているということは、日本国民は日本国憲法の通りに戦後生きてきたということでしょう。

本来、憲法とは国民が守るものではなく公務員が守るものです。権力を取り締まるものということなので”憲”法なのです。


安全保障を考えない国家は滅びます「◯◯がないだけで自由は奪われる」

日本の保守には”ナショナリズム”がない

グローバリゼーションって憲法違反じゃね?

なぜ日本は”経済第一”なのか?

これまでに書いた安全保障に関わる記事ですので参考になればと思います。




安全保障とは保険であり、助け合いです。

日本人は保険好きと言われる割には、「安全」には無頓着のようです。

日本人は「お金があることが安全である」と勘違いしています。


砂漠で一億円持っていたって水がなければ買うこともできません。

お金ではどうにもならないことがあるということをいい加減に気付かなければ我が国は確実に亡国の道まっしぐらとなるでしょう。


民主主義とナショナリズム

民主主義とナショナリズムは相対するイデオロギーのような印象があるかもしれません。

民主主義=個人主義、全体主義=ナショナリズムといったようなイメージでしょうか。


しかし、このイメージは戦後GHQが流布したイメージと言っても過言ではありません。

GHQが設定したプレスコードにはナショナリズムの宣伝は禁止されていました。

戦後日本に繰り広げられた代表的なプロパガンダや嘘



普通に考えると民主主義と言っても決められないことがあります。

それは

「誰が決めるのか?」

ということです。

間接民主主義では選挙を通じて代議士を選出しますが、投票ができる人は、選挙権を持つ国民のみです。

選挙権は国籍を持つ国民にしか付与されません。


国民、ネイションが民主主義制度を通じて国の行く末を決めるということは、民主主義はナショナリズムが前提であるということになります。

だから外国人参政権というのは民主主義の否定、国家の否定、国民の否定ということになるのです。

この外国人参政権を推進していた政党や政治家がいましたが、彼ら彼女らは国民を否定する、日本国民の利益など考えない連中ということになるのです。


まとめ

国民主義者(ナショナリスト)は主流派経済学、家族のあり方、憲法、安全保障は個人主義を前提とするイデオロギーであり”個人の利益確保”闘争に敗け続けてきたのです。

国民を最優先に考えることが個人主義だと大衆に誤解させることができれば、GHQが憎んだ日本のナショナリズムは破壊することができます。

個人主義というイデオロギーの真実は、「強者主義」、「勝ち組主義」ということです。

現実にそうなってしまった以上否定できません。


流石にないとは思いますが、我が国のこの結果が全て誰かの計画だとしたらその人達は悪魔でしょう。

個人主義者の助け合いを是非観たいものです。

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