「プロパガンダ」、「情報操作」、「噂」
情報化社会という言葉が叫ばれて久しい現代ですが、一体なぜこのような、嘘や欺瞞が公然と行われるのでしょうか?
テレビ、ラジオ、新聞、企業、政府、あらゆる組織が情報操作にしのぎを削っている社会です。
彼らが情報操作を行う理由や、情報操作を行わなければいけない構造、論理というものが存在しています。
この記事ではその辺りを考えてみたいと思います。
メディアの構造
メディアが情報操作を行う理由は以下の原因からです。
スポンサー(広告主)の顔
広告代理店の顔
記者クラブ制度
要は「金」ですが、彼らも彼らで生きていかなければいけないということで、この二つの存在を無視することができません。
ほぼ広告料で運営されているマスメディアは広告料が無くなれば、そのメディアの運営すらできなくなります。
それを避けるために、
「スポンサーにとって不利益なことは報道しない」
という論理が生まれるわけです。
スポンサー
私が思うに、スポンサーとしても消費者に嫌われることを一番恐れているはずなので、視聴者の利益になるような番組構築をするメディアに広告を出した方がよっぽど広告主のイメージは上がります。
最近の地上波の信用は、低下の傾向にあるようですが、アンケートの結果は様々なのでなんとも言えませんが、日本国民は他の先進国と比較するとマスメディアに対する信用が非常に高いので心配です。
私もテレビをこういった目線で見るようにしていますが、相変わらずですし、こんなメディアに広告を出す企業の商品など「買うものか」という感情になってしまいます。
スポンサーの広告のメディア選びに対する姿勢は、かつて無く慎重にしていくことが求められることでしょう。
なにしろ個人がメディアを持てる時代ですから、これは既存のメディアにとっては脅威とならざるを得ません。
スポンサーはむしろ、広告で自社に不利益なことを言いつつも消費者に利益になることを伝えることで消費者からの信用を上げることができます。
今や、消費者が企業に求めるものは「正直さ」かもしれません。
なにせ、メディアという「嘘つき」が紹介する商品という見られ方ですから、あまり良いイメージは持たれませんね。
広告代理店
次に広告代理店ですが、最近は長時間労働で痛ましい事件があった電通などの大手広告代理店の顔というのも、メディアの構造を考える上で重要なポイントです。
例えば企業が広告をテレビに出したいと思った場合にテレビ局に広告を出したいと言っても受け付けてくれません。
広告代理店という仲介屋を通さなければ広告を出せない構造になっています。
どうしてそうなったのかと言うとまずテレビというものは、GHQが占領政策の中で大いに利用したという事実と、電通がGHQの機関組織と事実上なってしまったという経緯があるのです。
読売テレビをGHQに作れと指示された正力松太郎(CIA)、日本電報通信社(電通の前身)、共同通信、時事通信の株式の持ち合いといった事実があります。
詳しいことは別の記事で書きたいと思います。
企業がCM製作に直接関わることもあるようです。
ソフトバンクの犬のCMは孫社長が構想をしたと本人が言っていました。
非常に不愉快なCMです。
プロパガンダということで言えば、夢の国でおなじみのアニメで「総統の顔」というものがあります。
戦時中のアニメですが、アヒルのキャラクターがナチスや日本の天皇陛下を揶揄した作りとなっています。
ぜひ調べてみてください。
小泉純一郎の郵政選挙の時のテレビ報道の凄まじさは忘れられないほどです。
そのキャンペーンを張ったのも、自民党から依頼を受けた電通です。
その時のキャンペーンで、リサーチされたSWOT分析などの資料が流出したために発覚し、「B層」という言葉が生まれたのもこのことが発端です。
広告代理店とテレビ局、企業の関係はこうです。
広告代理店がメディアから広告枠を買い占めて企業に売る
企業は広告代理店から広告枠を買う
広告代理店は芸能界にギャラを支払い、芸能界は芸能人を出す。(広告製作)
広告代理店はメディアに金とCMを流す
メディアが報じる
テレビ局にとって広告代理店はお客さんを紹介してくれる存在です。
広告代理店のお客さんは企業です。
お客さんの悪口言えますか?って話です。
言える人は早々いないと思いますし、お金を貰ってる側は、自然と、今はやりの「忖度」をするようになるのです。
それが、「業界のルール、タブー」にまで昇華したのだと考えられます。
電通の批判をして地上波に出られる人などいないでしょうし、森田実氏は電通の批判をしてテレビに出られなくなったのです。
メディア業界から見れば「土足で入ってきやがって!!」となり「忖度」発動でしょう。
「そもそもお前らの仕事って何なんだ?」って話ですが、まず、「金」が最優先事項となっているメディアなのです。
記者クラブ制度
次は、記者クラブ制度ですが、これも非常に問題の多い制度です。
記者クラブ制度というのは、首相官邸や省庁、警察署などに記者室を持ち、そこを活動拠点とすることで、政府からの発表をそのまま記事にできます。
しかし政府などの発表を「そのまま記事にする」ことが問題なのです。
記者クラブ制度があるために、両者は持ちつ持たれつの関係が出来上がります。
すると、これまた情報発信者にとって不都合なことが書けなくなります。
都合の悪いことを書けば、記者クラブを追い出され、情報がもらえず記事が書けなくなってしまうからです。
国家権力を監視する立場の記者が、政府発表をそのまま伝える言わば「機関記者」になってしまうのです。
私見ですが、この記者クラブ制度は人の命も奪う制度だと認識しています。
桶川ストーカー殺人事件、足利事件などの事件は清水潔氏が独自に調査をして、真相が発覚した事件です。
記者クラブ以外の人間には、情報を与えない警察の姿勢が事件を深くしてしまった可能性が十分にあると言えるのです。
足利事件は冤罪事件として菅谷さんは釈放されましたが、「飯塚事件」はDNA型鑑定の再鑑定をするよう求めているにも関わらず、また再検査をするに十分な根拠もあったのにも関わらず、死刑が執行されてしまいました。
絶対に再鑑定させようとしない検察、科警研の支離滅裂な言葉にこの世のものとも思えない程のショックを私に与えました。
もちろん、クロかもしれません。ですが、シロかもしれないのです。
取り返しがつかない極刑であれば、DNA型の再鑑定くらい認めれば良いのです。
こういった事件も記者クラブ制度のみでは、まず表面化しない事件です。
また法案が可決される、閣議決定される、それすら報じないということもままあることです。
最近では「水道事業民営化の閣議決定」、「浜松市の水道事業運営権がフランス企業へ」、「主要農作物種子法廃止法案(モンサント法案)」などがありました。
森友問題で社会を震撼させる風にして、裏でちゃっかりとんでもない法案を通すこの「型」はこれまでと全く変わりません。
政府の論理
政府はなぜ嘘をつくのかと言えばこれしかありません。
「大衆のコントロール」
大衆が政府に楯突くことは政府からしてみれば面倒なことです。
本当のことを言ったら、暴動が起きるかもしれないと考え、
「じゃあ、適当なことを言って落ち着かせよう」となるのです。
私自身、政府の嘘を全否定するつもりはありません。
時には、嘘も方便となるような事態はあるに決まっています。
「国民の利益になる嘘」なら致し方ないところはあるでしょう。
しかし、許してはいけない政府の嘘というのは、
「国民を不幸にする嘘」です。
いわゆる「国の借金問題」、「日本は成長しない」、「人口減少によって衰退する」、「グローバリズムは常に善」など、これらを主張して、国民が豊かになるのでしょうか。
こんなことを主張し続けて20年以上もデフレが脱却できないのです。
もちろん、反権力ありきではアカと変わりません。
国民にも責任はあります。
WGIPの影響もありますが、大多数の日本人が真面目に政治と向き合ってこなかったのです。
政府は「なぜ」を教育しません。
「思考力を高めさせない」ことが義務教育の根幹にあるのです。
「なぜ」を教育すれば、人間は「考える」ようになります。
それをしないことで大衆のコントロールをしやすくしていると言っても過言ではないのです。
思考力がなくなることについて、占領政策が尾を引いていることは間違いありません。
アメリカにされてきたこと、今もされていることを考えると
「それが”戦争に負ける”ということ」
なのかと私は思いました。
まとめ
メディアの構造は、スポンサー、広告代理店、記者クラブで成立していること
「金」の論理が支配していること
政府の論理は「大衆のコントロール」であること
私のしていることは彼らから見れば「悪あがき」かもしれません。
負けを認められない潔さのかけらもない人間かもしれません。
そうかもしれませんが、私は、日本人誰もが我が国の為に闘った先人からのバトンを引き継いでいると思っています。
私の悪あがきが誰かの役に立つことを祈っています。
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