我が国は表現の自由があります。
少なくともあることになっています。
また、知る権利やプライバシー権も保障されていますし、思想の自由も憲法上保障されています。
しかし、憲法に明記されているからといってそれが即、それらの自由を保障しているかと言えばそうではありません。
例えば、自分の名前や日常的に生活を監視されているとしたら、表現の自由は保証されますか?
ということです。
また、マスメディアが報道しない自由として、ある法律案について全く報道しない場合、知る権利は保障されていると言えるのか?ということもあります。
我が国でも戦前戦中は軍国主義で民主化されていなかったという意見が主流ですが、選挙制度それ自体は存在していました。
とは言え、226事件で処刑された青年将校の遺族である波多江たまさん曰く、家に社会主義の書籍があるとすぐに特高警察がやってくるということなので、とりあえず思想の自由と出版の自由は、自由と言えるほどはなかったのだと思われます。
こんな場合はこれらの自由を保障していると言えるのでしょうか?
更に、TPPが典型ですが国家主権を喪失する可能性が非常に高い条約締結について、マスメディアで全くと言って良いほど報道されません。
これから人工知能によるテクノロジーが普及していくから、人間の仕事がなくなっていくと、少なくともその可能性が高いというのにもかかわらず、TPPで「移民」を受け入れるということに必ずなっていきます。
そうしたときに、移民と日本人で仕事の奪い合いが起こる可能性が高いのです。
これは憲法上の生存権にも関連します。
このように我が国の民主主義は確実に成立していません。
そもそも、民主主義という政治システムは人類の歴史上うまくいったことがありません。
なぜなら、民主主義制度では、大衆と国会議員、財界の利益が対立するからです。
そうなれば、政治家はお金をくれる方の言うことを聞き、それに沿った政策を敢行するしかなくなります。
お金が支配の道具という側面をもつ以上、これはどうしようもありません。
これを正すには、人間がお金に支配されない貨幣制度を構築する必要がありますが、それは中央銀行制度を改革するということですし、また選挙制度や国会議員の待遇や立場を変えないといけなくなります。
国会議員が自らの立場を危うくするような法改正をするはずがありません。
民主主義を達成させるために、徹底した法改正を行ったとしても恐らくそれは民主主義とはかけ離れた政治システムになることと思います。
「言論の自由」と「プライバシー権」、「知る権利」が保障されていることが民主主義の根幹でしょう。
これらが保障されていない民主主義は民主主義足り得ないということになります。
民主主義という政治システムが欺瞞に満ちているというのはこういった理由から崩壊していくのかもしれません。
この記事ではその辺りを考えてみたいと思います。
民主主義の土台
民主主義の定義
冒頭で「言論の自由」と「プライバシー権」、「知る権利」が保障されていなければ民主主義足り得ないと説明しましたがなぜこの3つの概念が保障されていなければ民主主義は民主主義足り得ないのでしょうか?
まずこの3つの人権のうち、プライバシー権がなく「知る権利」と「言論の自由」が保障されていると仮定するとどのような状況になるか考えてみます。
「人権」についてのオーソドックスな解釈はこちらを参照してください。
この仮定を砕いて表現すると、
「権力からの監視は存在するが、知る権利(マスメディアの報道の自由度が高い、出版の自由が確立されていること等)と表現の自由は確保されている状態」
となります。
権力からの監視の強弱もありますが、ここでは大衆が権力の監視を「認識している」に前提に考えます。
この前提で、以下のように
「監視されながらも、人間は”本当に言いたいこと”を言えるのか?」
という課題が生まれます。
あなたはこの前提の場合、どのような行動をするでしょうか?
私も実験したわけではありませんが、恐らくのところ、
「知る権利や言論の自由が保障されても、プライバシーが侵されていれば言いたいことは言えなくなる」
となるように思えます。
特に日本人の場合、「何かの批判をするなら自らの姿勢を正さなければいけない」といった価値観がありますし、「自分のことは棚に上げて~」といった言い方もあるくらいなので、中々言いたいことは言えなくなるでしょう。
人間、それほど綺麗に生きてはこられないはずで、人に言えないことをしてしまうのも人間です。
そういった自分の隠したいことを、「知られているかもしれない」と考えた場合に、果たして民主主義は機能するのか?ということです。
次に、知る権利が制限されていて、プライバシー権、言論の自由は保障されていると言った場合はどうなるでしょうか?
この場合、国民の知るべき情報かどうかの選択は、政府に委ねられます。
そのため政府にとって都合の悪い情報は制限されることになります。
すると、国民は政府の与える限定された情報で議論するしかなくなりますので、政府は投票活動も操作することができるようになります。
情報を操作することは、様々な活動を操作することに繋がります。
情報操作を仕掛ける者が困る5つのこと〜メディアの嘘に騙されない〜
したがって、この場合でも民主主義は成立しません。
次に、言論の自由が制限されていて、プライバシー権、知る権利は保障されていると言った場合はどうなるでしょうか?
知りたいことは知ることができるけど、言いたいことは言えないという状況です。
考えるまでもありません。
この3つの人権は、3つ揃っていなければ民主主義が成立しないのです。
したがってこの3つの人権は民主主義の要素となります。
カリスマが言論を統制する
これまで見てきたような政府がある種の人権を制限することで言論を統制することができますが、他にも言論を統制する方法があります。
マスメディアの情報操作
情報操作を仕掛ける者が困る5つのこと〜メディアの嘘に騙されない〜
愚民化政策
と他の記事でも書きましたが、当たり前過ぎて説明しなかったものが、
「カリスマの出現」
です。
つまり、「英雄」のことですが、この英雄を演じられる政治家が言論を統制する結果を生み出します。
どういうことか?
例えば、アドルフ・ヒトラーは当時の高い失業率を財政出動によって支持を得ました。1932年時点で43.3%の失業率です。
経済政策もさることながら、宣伝大臣のヨーゼフ・ゲッベルスの演出や演説指南、ラジオによる情報操作やプロパガンダ、科学技術の先進性など驚愕する事実が当時のナチスドイツには山のように存在します。
ヨーゼフ・ゲッベルスが警告したこと〜プロパガンダの天才が危惧した未来〜
当時のドイツ人からしてみれば、ヒトラーは間違いなく「英雄」でした。
最近の我が国にも、英雄のように露出する政治家がいます。
小泉純一郎親子や橋下徹、民主党政権下での安倍晋三などそうですが、こういったカリスマが出現すると、一般大衆は救世主のように持ち上げたりします。
その空気が支配的になると、その英雄に対する批判をすることが難しくなるのです。
よく「安倍信者」とか「橋下信者」などと呼ばれているようですが、対象を批判的に見ることができなくなった時点で、信者となり、認知的不協和も起こりやすくなります。
救世主など存在しないのです。
特定の誰かを持ち上げても何も変わらない〜救世主など存在しない〜
そもそも救世主が存在するとか、英雄が存在するという考え方は民主主義の否定ですし、思考停止の入り口となるものです。
断っておきますが、私は別に救世主思想をもつ宗教を否定したいわけではありません。
救世主に頼って自分の頭で考えることを止めるなと言いたいだけです。
英雄の手口
英雄や救世主は言葉を変えたがります。
例えば以下のように言葉のイメージを「悪くないものにする」ということです。
言い方を変えれば、「正当化」と言えます。
「侵略戦争」→予防戦争、防衛戦争
仮想敵国に設定することで、国民の憎悪を煽り軍事攻撃を正当化します。
「対テロ戦争」という言葉もそうです。
テロリストなんてものは本来存在しなかったのです。
「奴隷労働」→派遣労働、労働市場の流動化、多様なニーズに応える労働のあり方
パソナの会長がよくやる手法です。
「弱肉強食」→自由化、規制緩和、民営化、新自由主義
グローバリゼーション→アメリカ化
このような砂糖をふりかけたような甘い言葉やイメージをもつ言葉に注意すべきです。
詐欺の入り口は夢や希望です。悪は笑顔でやってくるということです。
英雄や救世主は自身の正体が暴かれないように徹底的に嘘を嘘で塗り固めていきます。
時間切れいっぱいいっぱい嘘をつきまくるのです。
もちろん己の利益を目的としてです。
本当に英雄で救世主であるなら、物質的なものには目もくれないはずですが、「英雄色を好む」という言葉がある通り、英雄に救世主は本質的に存在しないということになるのです。
こういった手口、「ワンフレーズポリティクス」という手法とマスメディアを利用し大衆を煽動して、救世主の出来上がりです。
このように出来上がった救世主が社会の空気を支配すると、その「救世主」の批判はタブーとなり、「言論統制」がそこで生まれるのです。
これらが近代の言論統制のあり方です。
もちろんレッテル貼りや既成事実化などの手法も言論統制の一翼をになっています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
普段プロパガンダに関する書籍を読み漁ったりすると、言論統制が自然に発生するように見える手法が存在することを発見したり、民主主義は情報操作手法によって共産主義に化ける場合もあるということがわかります。
情報というのは非常に恐ろしいものですし、言葉に自分が殺されないように注意しなくてはいけませんね。
しかし、エドワードスノーデン氏が暴露したように、NSAがのべつ幕なしに世界中の人々を監視していた事実もありますので、監視社会はもう既に出来上がっているのです。
参考書籍